サキザヤ(撒奇莱雅族)

 サキザヤ(撒奇莱雅族)、アミからはサキラヤ、クヴァランからはスキザヤとも呼ばれてきた。主に花蓮県の北部に長らくアミと混在して居住し、2007年1月17日に正式に民族と認められた。現在の人口は、推定で5千人から1万人とされている。もともとは花蓮の奇萊平原に住んでいたが、サキザヤとクヴァランが共同して清の統治に反抗した1878年の加禮宛事件で敗北した。漢民族が入植し、報復を恐れたサキザヤはアミの集落に逃げ込み、アミは保護しかくまった。さらに、日本の植民地時代の労役と水害などが原因で平地の一部に移転したほか、平原以外の広い地域に散在して住むようになった。現在は都市在住者も多い。日本植民地時代にサキザヤはアミと共に暮らしていたことから、サキザヤはアミの一支族とされ、その言語もアミ方言とされた、というのがサキザヤ認定を求めた人々の主張であるが、一部の学者からは異論もある。

 もともとは、男性は女性の家に婿入りし妻方居住する社会で、5年に一度進級する年齢階梯組織で訓練をうける生活を送っていた。祭礼は小米(粟)の豊作を祈るためのもので、小米の生育にあわせて粟まき祭、捕魚祭、収穫祭、豊年祭、収蔵祭がおこなわれる。民族認定後もアミとの関係は良好で、互いの祭礼を祝っている。

文責:山本芳美